有事に備える最大の保険は「農業」──HSPの私が自給自足で得た“本当の安心”
お金に頼る社会の限界
お金と食料を交換する社会の仕組みは、景気や経済情勢に大きく左右されます。
しかし、自ら農作物を育てる自給自足の生活は、その影響をほとんど受けません。影響があるとすれば、せいぜい肥料や燃料の値上がりくらいです。
お金は社会が機能しているからこそ価値を持ちますが、ひとたび有事が起きれば、その価値はあっけなく崩れ去る可能性があります。
物流が止まり、店に食料が並ばなくなれば、お金があっても食べ物を「買う」ことができません。
そのとき、生きるための力を支えるのは「お金」ではなく、「生産する力」そのもの。
私はそれを、有事に備えた最大の保険だと考えています。
黒枝豆が教えてくれた「本当の豊かさ」
私の住む地域では、黒枝豆の栽培が盛んです。丹波の黒枝豆は特に有名で、旬の時期には遠方からも多くの人が買いに来ます。
私は毎年、その黒枝豆を自分の畑で育てています。
収穫期になると、茹で上げた枝豆の香ばしい香りが夜風に乗って広がり、秋の空気と混ざり合う。
その瞬間、**「育てて良かった」**と心から思います。
黒枝豆は鮮度が命。収穫してから時間が経つほどに甘みが落ち、香りも薄れていきます。
だからこそ、採れたてをその日のうちに茹でて食べるときの感動は格別です。
市場では「高級野菜」として扱われる黒枝豆を、旬の間、毎晩、好きなだけ食べられる──。
それは贅沢でもあり、同時に「生きる力を持っている」という確かな実感でもあります。


HSPの私と農業との相性
HSPの私は、人間関係に疲れやすく、人混みや過剰な刺激に弱いところがあります。
しかし、畑にいると不思議と心が落ち着きます。
土の匂い、風の音、虫の羽音。
それらが混ざり合って、頭の中の雑音を静かにしてくれるのです。
自然のリズムに合わせて体を動かしていると、自分がこの地球の一部として生かされている感覚が戻ってきます。
人との関係に気を使いすぎて疲れてしまう私にとって、畑の中で過ごす時間は心の回復そのもの。
農業は、私にとってのセラピーでもあるのです。
自給自足は「心の安定」と「命の保険」
自給自足の農業は、経済の変動から身を守るだけでなく、心を安定させてくれる生き方でもあります。
自分の手で食べ物を生み出すこと。
それは単に食料を得る手段ではなく、心の安心、そして生きる根を取り戻す行為なのだと感じています。
だから私は今日も畑に立ちます。
天候に悩まされることもありますが、土と向き合うほど、心は静かに整っていきます。
お金では買えない「安心」と「豊かさ」が、そこにあるのです。
