愛する存在を失っても、生きていくということ
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― 喪失と共にある心 ―
五年前、家族のように愛した犬、チョコが旅立った。
その日から、私の時間はどこか止まったままのように感じられる。
チョコはとても繊細で、気を使う子だった。
チョコが妻に甘えているとき、私がチョコを見つめそっと「コホン」と咳をすると、
必ず私のそばへ来てくれた。
その小さなやり取りさえ、今では胸を締めつけるほど愛おしい。
晩年のチョコは白内障で目が見えず、動きも鈍くなった。
医者から「もう長くない」と告げられたとき、
胸の奥がぎゅっと締まるような痛みに襲われた。
ある夜、苦しそうにするチョコのそばで、私はただ手を添え、体をさすった。
少しでも苦しみが和らぐならと、声もかけられず、ただ寄り添った。
そして翌朝、チョコは静かに息を引き取った。
温かさを残したその小さな体の感触は、今も私の手のひらにある。
私は50歳になった。
人生の前半は出会いが中心だった。
しかし後半になり、別れが中心となってきた。
大切な存在の死を見送ることは増え、
その度に心は波立ち、頭では理解しても、胸は納得しない。
畑に立つと、チョコが元気よく私と競争しながら駆け回る姿を思い出す。
楽しそうに走る顔、弾む足音、風に揺れる毛の感触――
その光景は今も私の心に生きている。
チョコは、私に生きる意味を教えてくれた、かけがえのない存在だった。
喪失の痛みは、愛の深さの裏返しだ。
愛した分だけ、失う悲しみもまた深くなる。
それでも、チョコと共に過ごした日々、
笑い、寄り添い、見つめ合った時間があったから、
私は今もこうして、感じ、考え、生きている。
死は、いつも静かに私の隣にいる。
それでも私は今日も畑を耕し、大切な誰かを想い、空を見上げる。
愛した記憶は、悲しみと共に心の奥で静かに息づき、
私という生を、いまも形づくっている。

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