HSPの私が「孤独」と「自由」に敏感になった理由
私は母子家庭で育ちました。母は病弱で、私が3歳ごろから小学校入学前までは入院していたため、その間は児童養護施設で過ごしました。
小学校に上がる頃には家に戻れましたが、その後も母は短期間の入退院を繰り返しました。
さらに、5歳上の姉は知的障害があり、養護学校(現在の特別支援学校)に通っていたため、母は日常的に大変な状況だったと思います。
幸い、6歳上の兄が面倒を見てくれたため、私は再び施設に戻らずに済みました。
また、小さなときに施設に入り、集団生活で規則の多い生活を経験しました。
当時まだ小さかった私はとても窮屈に感じ、ルールを守らないことも多く、その結果、強く叱られ体罰を受けることもありました。
こうした不安定な家庭環境と、施設での集団生活による強制的な体験の影響か、HSPである私は孤独や自由に対して非常に敏感になりました。
特に私は、内向的でありながら強い好奇心を持つHSS型HSPの傾向を持っていたため、強制と感じることには強い拒否反応を示すようになりました。
家庭環境が不安定で人間関係の基盤が薄かったため、孤独を他者との関わりで埋めるのではなく、「一人でも生きていける力を身に着けたい」と強く思うようになったのです。
自分が納得して選んだこと以外には従えず、自由への意識が非常に敏感でした。
暗中模索の日々と転機
貧しかったこともあり、中学卒業後すぐに働き始めました。
しかしどの仕事も自分に合わず、やりがいを感じることはできませんでした。
自分の特性や興味を理解する力も備わっていなかったため、他者と自分を比較して「なぜ自分は続けられないのか」と悩み、自己肯定感を下げる日々が続きました。
そんな暗中模索の日々に、大きな転機が訪れます。
中学教師をしていた現在の妻との出会いです。
学のない私に対し、妻は「今まで会ってきたどの人にもない魅力がある」と言ってくれました。
好奇心が強いHSS型HSPだった私は、妻の影響で、様々なことを学ぶことに楽しみを覚えるようになり、チョークアートやアクセサリーづくり、七宝焼、3Dプリンター、スチームパンク制作、投資など、興味を持ったことには挑戦し続けることができました。
妻はその過程で経済面と精神面の両方で支えてくれました。
その状況はまるで、不安と孤独に押しつぶされそうになっていた私に差し伸べられた蜘蛛の糸をつかむカンダタのようでした。
その糸は、一筋の希望であり、同時に妻との結婚生活という他者との新しい生活に踏み出す不安も伴うものでした。
しかし、不安や恐れを抱えながらも糸をつかむことを選び、その結果、混沌とした世界から抜け出すことができました。
その糸(妻の存在と支援)が無ければ、路頭に迷いホームレスになっていた可能性もあります。私の存在を認め、結婚を選択してくれた妻に、心から感謝しています。
農業との出会い
地方に移り住んだことで、私は農業に出会いました。
「人間関係をできるだけ減らし、自然と向き合うことで心を落ち着かせたい」と思ったことがきっかけです。
土に触れ、体を動かしながら季節の変化を感じることで、心に安定感が生まれました。
農業を通じて「継続する力」や「物事をやり遂げる力」を養うことができ、これは後の大学生活や投資活動にも大きな自信となりました。
挑戦した経験は、どれも今の生活や仕事に必ず活きています。
たとえ途中で挫折したとしても、それは**「自分に合わなかった答え」**を見つける過程として意味があります。
挑戦の意味と学び
挑戦しなければ、後になって「もしやっていたらどうなっていただろう」と後悔することになります。
緩和ケアの介護を長年つとめ、多くの患者を看取ったブロニー・ウェア氏の著書『死ぬ瞬間の5つの後悔』でも、人生の末期に最も後悔するのは「自分に正直な人生を生きればよかった」と記されています。
だからこそ、あなたも怖がらずに挑戦してほしい。
小さな一歩でも、行動した経験は必ずどこかで生きてきます。自分に正直に生きることこそ、後悔のない人生への第一歩です。
学びと大学入学
農業を継続してきた経験に支えられ、私は40代で心理学を学ぶため大学に入学しました。
学び続けることへの自信を持っていたおかげで、無事に卒業までやり遂げることができました。
大学で心理学を学んだことで、HSPについて深く理解することができ、自分の特性や生きづらさの正体が明確になりました。
振り返れば、母が病弱で入退院を繰り返し、家庭が不安定だったため、小学校5年生を最後に学校に通うこともほとんどなくなりました。
そこから社会に出て働き、迷い続けた年月を経て、妻との出会いによって「学ぶことの意味」を知り、高認試験を受けて合格し、大学入学に至ったのです。
幼少期から妻と出会うまでの生活を考えると、この出来事はまさに「あり得ない奇跡」のようなものでした。
心理学を学んだことで、HSPとしての自分を理解し、他者との関わり方にも変化が生まれました。
そして今、HSPとしての経験を通じて、同じように生きづらさを抱える人に寄り添い、希望を伝えていきたいと心から思っています。
